みなさんこんにちは!
この度、私・青葉みつは、大学へ進学することになりました!
13歳で大学?妙だな...
<もくじ>
実は私、幼卒なんです
それで、タイトルの幼卒ってどういうことですか?
そのままの意味だよ?まともに卒業したのは幼稚園だけってこと。
よく今まで生きてこられましたね...
今はネットさえあれば余裕で生きていける時代だからね!
...バイトすらしたことないくせに?
やろうと思えばできるもん!
幼い頃から病弱だった私は、10歳の頃に大病を患いました。
10歳といえばまだ右も左もわからない小学五年生ですから、その当時の私は病気の重大さなど全く理解しておらず、むしろ通院や入院を楽しんでいる部分さえありました。
小学1年生の頃から教室で嘔吐して保健室に運ばれたり、貧血で倒れて救急車を呼ばれることも多かったため、さらに給食後に持病の薬を飲むなど周りと違う行動をとるようになった私を揶揄う者も現れ、それに怯えて一時的に不登校になった時期もありました。しかし、幸いなことに友人や教師に恵まれたため、すぐに学校に復帰することができました。
その後は病状も比較的安定し、無事卒業を迎えることができました。
今振り返れば、あの小学生時代が私の人生のハイライトだったように思います。
友人と図書室でおすすめの本を紹介し合ったり、音楽室でピアノを連弾したり。
自分が異端者である自覚など皆無で、無謀にも生徒会長に立候補したのもこのころでした。結果は演説会を風邪で欠席し、当然の落選。
卒業式の写真が残っているのは、唯一小学生時代のものだけでした。
中学進学後もしばらくは楽しく生活することができていましたが、2年生になって病状が悪化すると、それに伴って私を取り巻く環境も急速に悪化していきました。
私は周囲から疎まれるようになり、友人から遊びに誘われることも減り、気がついた時にはもう、学校内に私の居場所は残っていませんでした。
こうして私は、13歳にして再び不登校となりました。
私が13歳設定なのは、精神性がこの頃から全く成長していないからだよ!
メタい上に酷い。
一度復帰している過去もあり、母は私を何とか学校へ行かせようと必死でした。唯一の楽しみだった漫画や小説は全て捨てられ、生きる意味さえ失いました。
父はそんな私を気に病んでうつ病に罹り、家庭は崩壊寸前でした。
幼い頃から病弱であったせいか、私は死への恐怖が強く、自殺を考えることはあれど実行することは一度もありませんでした。
それゆえに知識も無く、主治医に手首を確認された時はその意図が読み取れず困惑したほどです。
私がガジェットに興味を持つようになったのはこの頃でした。
漫画や小説が読みたい。しかし、紙媒体では見つかればまた捨てられてしまう。
そこで私は祖母がくれたお年玉を握り締め、両親が外出している間を見計らってパソコンを買いに行きました。
もちろん新品を買うお金などありませんから、購入したのはジャンク品です。
ニコイチやBIOSパスロック解除、部品交換など様々な手法でPCを修理するうち、私はいつしかコンテンツを閲覧することよりもパソコンを弄ること自体を好むようになりました。
インターネットの世界を知らなかった私にとって、自分専用のパソコンを手に入れてからの日々は驚きの連続でした。
YouTube、Twitter、そしてブログ。
広大な未知なる海へ飛び出した船は、地図を塗りつぶす勢いで航海を続けました。
そのうち自分でも文章を書きたいと思うようになり、いくつかのプラットフォームを経由したのち、はてなブログで記事を書くようになりました。
それによって私の心はある程度平静を取り戻したかに思えましたが、学校への恐怖心は拭いきれず、二度と登校を再開することなく卒業を迎えました。
ニート時代
それで、中学を卒業したあとは何をしていたんですか?
一応通信制高校に入学したんだけど、ほとんど何もしてなかったね。
プログラミングの勉強でもしていれば将来役に立ったかもしれないのに?
不登校児に勤勉さを求めないで!
私は通信制高校の中でも最も学費の安い、年数日のみ通学するコースを選択したため身体的には楽ではありましたが、その"年数日"が苦難でした。
詳細は省きますが(思い出したくないため)、現在不登校の方や全日制からの転校を考えている方、特に大学進学を希望している方には通信制への進学/転入ではなく高等学校卒業程度認定試験(高認)の受験を強くお勧めします。
通信制高校は、私をはじめとした全日制高校に行けないようなどうしようもない人間が集まる場所です。高い学費を支払って己の精神を傷つけにいく意味などどこにもありません。
課題の提出が遅れ、両親に叱られつつも何とか3年(通常は4年)で卒業することができ、肩書きは無事高校生から無職に。
とはいえこれまでも無職ニートとほぼ同じ生活を送っていたため、大した変化はありません。
することといえばお絵描き、ブログ、ネットサーフィン。
たまにハードオフへ行ってジャンク箱を漁るのも楽しみの一つでした。
でも、ずっと同じ生活だとだんだん飽きてくるんだよね。
ずいぶん贅沢ですね。幼卒ニートのくせに。
ぐぬぬ...
そんな中、父から一緒に資格を取らないかと誘われました。
暇を持て余していた私は二つ返事で誘いに乗り、講座動画を見ながら久々の勉強を始めました。
すると、なんと私だけが合格してしまったのです。
無論、仕事で忙しい父と異なり私は一日中家にいるわけですから、確保できた勉強時間には大きな差がありました。
しかし、"優秀な父でさえ合格できなかった試験を突破した"という事実は私にとってこれ以上ない成功体験となり、深く記憶に刻まれることとなりました。実際はそこまで難易度の高い資格というわけではありませんでしたが...
調子に乗った私は大学進学を志し、上級資格の勉強をする父を横目に受験勉強を始めました。
しかし、世の中そう甘くはありません。
短期間の勉強で取得できる資格とは違い、大学入試は日々の積み重ねが重要。
中学からほとんど勉強していなかった私にとって、受験勉強は試練の連続でした。
現代文や地理は何となくで解けても、数学や物理はそうはいきません。
始めは共通テスト数学の最初の1問が解けただけで大喜びする程度のレベルでしたから、資格の時と同じように講義動画を見つつだんだんと力をつけていきました。
高校時代には毎日のように布団の中で泣いていましたが、この頃にはそのようなこともなくなり、学力と共に精神の安定を取り戻していきました。
一方で、図書館の自習室へ勉強しに行けば倒れて救急搬送され、完全にやる気を失って何も手につかないような時期もありました。
模試を1日受けに行っただけで体力を使い果たし、その後数日間布団から出られなくなることもありました。
その度に絶望して何もできなくなり、勉強を再開して少し落ち着く。そんなことを繰り返しながら、どうにか心を折らずに大学を目指し続けました。
最初は父の母校と同レベルの国立大学を目指していたものの学力が届かず、共通テスト後には泣く泣くレベルを下げて出願。
一人暮らしを不安視する母を納得させるため、後期には近場ある公立大学の文系学部を選択しました。
前期理系学部・後期文系学部に出願した理系受験生、多分私だけ。
迎えた2月25日-入試当日は体調が悪すぎてトイレで嘔吐し、そのせいで遅刻しかけるというやらかしをしてしまいましたが、息を切らしながらも何とか最後まで受験。
不合格を確信し、後期の対策をしていましたが、結果はなんと合格。
正直なんで受かったのかわからない。物理の出来が良かったのかな?
おそらく合格者最低点レベルでしょうね。
赤本に載れるからいいもん!
大学生になったら
まずは卒業すること。これを第一の目標にしたいと思います。
いくら休んでも卒業できた高校までとは違うということをしっかりと認識し、計画性を持って勉強していこうと思います。
余裕があれば父に倣って教職を取ったり、バイトにも挑戦してみようと考えています。
この先しばらくは手続きや引越しなどで忙しい期間が続くかと思いますが、記録、そして自分への戒めのためにもブログは続けるつもりですので、引き続きお付き合いいただければと思います。
もちろんお絵描きも続けるよ!
最後になりますが、読者の皆さん、そしてはてなブロガーの皆様に感謝を申し上げたいと思います。
面白い記事や、ためになる記事や、感動的な記事たちが私の好奇心を満たし、視野を広げてくれると共に、心の支えにもなっていました。
時に絶望し、時に腐りかけながらも、ここまで来られたのは皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
ではまた次回!