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【書評】ライ麦畑で捕まえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)を読みました

 

 

こうして書評というものを書くのは初めてだから、多少おかしな部分があっても許してね。

まず、どうしてこの本を読もうと思ったのかということから話さなくっちゃならないわけだけど、実を言うとそんなに高尚な動機ってわけじゃなんだ。

最近よく聞いている曲の中に、VTuber・イラストレーターのしぐれうい先生が歌う『うい麦畑で捕まえて』というのがある。

 


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テンポの良さと電波感が気に入って聞いていたんだけど、一つだけ、どうしてもわからないことがあったんだ。

それは、なんで『うい麦畑』なんてタイトルを付けたかってことさ。

まず『うい麦畑』なんて言葉はこの世のどこにも存在しないし、その上歌詞にも全く合っていないんだ。だから、最初はうい先生が作り出した造語か何かの類だと思っていたわけ。

でもさ、ある時気づいちゃったんだよ。それが『ライ麦畑で捕まえて』のもじりだってことにさ。僕はとことん参ってしまったよ。

それからすぐに図書館に行って『ライ麦畑で捕まえて』を探したんだけど、いくら探しても見つからなかった。見つかる訳ないよね、何しろ閉架書庫に収まっていたんだからさ。

 

かくして手に入れた『キャッチャー・イン・ザ・ライ(村上春樹訳)』は、簡単にまとめるとこんな話。

・成績不良で高校(4つ目!)を退学になった16歳の主人公、ホールデン・コールフィールドは、ルームメイトと殴り合いの喧嘩をしたあと寮を飛び出す。

・家族へ退学のことを知られたくないホールデンは、ニューヨークにホテルをとってバーで酒を飲んだり、娼婦を買ったり、いろんな女の子とデートしたりする。

・そんな中でホールデンは『ライ麦畑のキャッチャー』になることを夢見て西海岸へ移住し、ひっそりと暮らすことを計画する。

・最後の別れを言いに妹のフィービーの元を訪ねる。回転木馬に乗る妹を見て幸せを感じ、自分もついていくと言って聞かないフィービーにどこにも行かないと約束する。

 

出版が1951年、元となった『Slight Rebellion Off Madison』が1941年に掲載される予定だったことを考えるととても古い作品だから、外国文学であるってこと以上に現代との価値観の差が大きいんだけれど、意外と現代でも通じる部分にもあるんだよ。

例えば、数字の誇張なんかがそうだね。

Twitterなんかだと久しぶりにすることを『百年ぶり』と言ったり、大金が欲しい時には『5000兆円欲しい』なんて言ったりする。

ホールデンも数字を大きく言うくせがあって、大勢の人を『百万人』と言ったり、おばあさんを『百歳くらい』と言ったりするんだ。ちょっとだけ親近感が湧くよね。

 

そんなホールデンなんだけど、彼は基本的にあらゆるものを嫌っているんだ。何を言うにもいちいち『ろくでもない』とか『やくざな』といったprefixをつける。もう、うんざりしちゃうよね。

よく言えば『社会の欺瞞を暴き真実のみを愛する無垢な若者』なんだけど、表向きはただの社会不適合者とも言うべきメチャクチャな人間なんだ。そう、ちょうど捻くれた厨二病患者のようにね。

でも、彼は何も全ての人を嫌っている訳じゃないんだ。堕ちたくても堕ちきれないままでいる、って言うのかな。いいところもたくさんあるんだ。質素な格好をしたシスター(文中では尼さん)を気に入って募金したり、小さな子供が見て気に病まないようにと学校の落書きを消したりさ。あれだけ嫌がっていた実家にも最終的には帰る訳だしね。

 

もちろんホールデンは金持ちの家庭で育ったお坊ちゃんだし、平気で年齢詐称や未成年飲酒・喫煙はするしで僕とは全く異なる部分も多いんだけど、なぜだか嫌いにはなれなかったね。分かってはいるけれど理解したくないこと、逃げたいと思っているけれど逃げられない(実際に逃げる気にはならない)ことなんて誰しも一つはあるものだからさ。

最終的にホールデンを"キャッチ"したのが妹のフィービーだったってのも良かったね。

大きなものに押しつぶされて変わることを恐れているというか、変わらなければいけない時が来たならば、その時は自分から変わりたいと言う想いが見事に表現されているように感じたんだ。そしてそのきっかけとなるものは、自分より弱いものでなくちゃならない。

 

終盤でホールデンが会ったアントリーニ先生は、こんな言葉を引用していた。

「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ。」

ホールデンはこの言葉を聞いてきっと、無垢なる子供たちを見守ることが自分にとっての大義だと解釈したんじゃないかな。

自分のためだけに生きることほど辛いことはないからさ。

 

全体としてとても面白い本ではあったんだけれど、色々とびっくりしたよね。タイトルだけじゃ全く想像できないような話だったからさ。

でもホールデンの価値観というか、想いのようなものは現代人が抱いていてもおかしくはない...むしろありふれたものなんだろうね。

僕がもしホールデンと同じ時代の米国に生まれていたら、同じように有名な俳優の出ている映画をこき下ろし、同じようにカトリックを嫌悪していたかもしれない。

だからこそ僕も、ホールデンにとってのライ麦畑のような、「このときのために今まで生きてきたのかもしれない」と思えるような美しい瞬間を過ごしたいと願ってやまないんだ。

ホントさ。ウソじゃないよ。

 

 

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